「迷いの森」出口発見競争
アマチュアのプロットは、一目瞭然欠陥が見える。作者の盲点を指摘できる。
このまま書き進んだらどういう作品になるか、事前に云い当てることが出来る。
断っておくが、これは自慢ではない。
プロとして何年も何十年もやって来た者なら、誰もが身にしみている若き日の過ちなのだ。
表題に取り上げた私の造語に置きかえれば、
みんな、迷いの森の中でどれ程うろついていたか、あせりまくっていたか、
抜け出そうとあがいていたか、忘れられない記憶があるからだ。
従って、私の場合も、プロットを一読しただけで、その作者の頭の中の構造が見える。
現在の思考回路が云い当てられるわけだ。
それに加えて、30年近い指導者としてのキャリアがあるわけだから、
そうそう間違ったこと、とんちんかんなことは云ってない筈だ。
時に黒板を使って「私だったらこの素材はこんな風に料理してみたい」と、
レシピ風のものを見せたりもしているが、それが結構有効打になっているようだ。
人物配置、キャラの設定、ストーリーの流れ……自分ではこれでいいと思う。
面白い作品になりそうな予感がある。さァ、書こうと思う。
その時点で多くのアマチュアは、気付かずにかなりの減点を背負っているのだ。
同じことを毎回のように繰り返すわけだが、
作者と素材の癒着を本当に切り離しているかどうか、
一人よがりではないか、冷たく見つめているかどうか、
その吟味にかける時間が少なすぎるように思えてならない。
最近扱ったコンストのファーストシークエンスを取り上げてみよう。
駅前広場で、一人の若い女が弾き語りでロックを歌っている。
寒い季節で道行く人はみな、コートの襟を立てて素通りしてゆく。
そこへ通りかかったバイト帰りの青年が、ふとバイクを止め、じっと歌声に耳を傾けた。
その視線に気付かずに、彼女はかじかんだ指に息を吹きかけた。
次のシーンは、日替わりの公園、初めてのデートでお互いの将来の夢を語り合う。
更に、安アパートで同棲しているシーンが続き、
貧乏にめげずに愛を育ててゆくプロセスへ移ってゆく。
このペラ15枚に読み手はどう反応するか……。
作者の思惑とは裏腹に、白けた気分にならないとは限らない。
なんでそんなきまりきった導入部から入るのだ、韓流ドラマのパクリじゃあるまいし。
公園のベンチに距離を置いて坐ったり、手に罐コーヒーだったり、空には飛行機雲……
もう止めてくれと喚かれる恐れがある。
つまり、作者が二人の運命的な出会いを美しく描こうとしたにも拘わらず、
読者にはなんの関心も起きない、不用だと一蹴される。
こうしたことは、明らかに作者に非がある。
斗う前から負けていることになる。
初めてシナリオを書こうとする人のために、あえて解説しておこう。
前述したような段取りは一切不要、そんなことに思い入れてはいけないのだ。
若い二人が一緒に暮らしている絵の中に、本編のテーマに繋がる事件的なものが提起される……
そのあとドラマの進行の中で、この二人が同棲なのか結婚しているのか、
どういう出会いで知り合ったのか、必要に応じて自然に分らせてゆけばいいのだ。
「幸せな状態にドラマはない」モーパッサンの至言を改めて噛みしめて欲しい。
塾の授業は月に2回だが、それ以外にも毎月2、3度私の家で勉強会なるものが開かれている。
先日、一人の塾生がこう云っていた。
「云われることがやっと分りかけてきたけど、とてもまだ書けそうに思えない」と。
それでいいのだ。
分りかけるまでに人によっては十年近くかかったりするわけで、分りかけた所からは早い。
つまり、森の出口の灯りが見えたらしめたもので、あとはせっせと歩き続ければ視界は開ける。
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