たら、れば、こそ最強の武器

私の指導生活もそろそろ終りに近づいているが、

振り返ってみると、個人的に付き合った人だけでも50人は軽く越える。

1人ずつが持つ悪い癖が短時日で矯正出来た人もいるし、

最後まで手古ずった頑固な持病もあった。

だから、いつも云っているように、身近に格上の先輩を探し出して、

自分の欠点を指摘して貰う、徹底的に直してゆく、ことが必要だ。

同レベルの友達では、傷の舐め合いになる恐れがある。

病気を抱えたまま歩き回ると、かえって患部は悪化する。

だが、上達する一番の条件は、やはり熱意だ。

暖簾分けした十数人の人達は等しく熱心だった。

話を作ること、書くことが苦にならないどころか、本当に好きだった。

だからこそ、あっという間に本家を追い越して、

美味しく香ばしい煎餅を売り出すようになったのだろう。

塾生にも通信生にも、私は口を酸っぱくして云っていることがある。

ここでも何度か取り上げたと思うが、どうしてすぐに「出来た」と結論づけるのだろうか。

主人公以下3、4人の主要人物が用意され、あらましの筋立ても出来た、

謳いたいテーマも放りこんだ……

さァ、これから辛気くさい煮つめの作業に入る、

暫くそれを繰り返す、のだと改めて腰を据えるべきなのに、なんともう書き出す。

唖然とせざるを得ない。

天才なら別だが、少くとも私は観たことがない。

古い表現を借りれば「野に遺賢なし」だ。

何をするのか……。

人物たちとの対話だ。

プロなら誰でも、そこに時間をかける。

主人公さん、いらっしゃい。そう、あなたでしたね。

ご自分をどう思いますか?

勿論何も云う筈ない。喋ったらお化けだ。

つまり、これから先は一人二役、執拗に自問自答を繰り返すのだ。

あなたはもしかして、自分を非常に類型的なキャラだと思っていませんか?

作った私を内心怨んでるんでしょう。

そう云われると、どこがチャーミングなのか分らない気がするな。

はっきり云ってください、行動がパターンなのでしょうか?

そう、読む人の想像通りだからね。

次いで副主人公。

主役はこう云ってますけど、あなたもやりにくいですか?

なんだか納まり形でやり甲斐がないわ。

もっと泣いたり喚いたりしたいのよ、私は。

問題解決についてはどう思います?

安易すぎるわね、アッと驚く形にしてくれなきゃ。

こういったことを、来る日も来る日も、何時間も何十時間もかけて繰り返すのだ。

醗酵期間というのはそういう作業であって、外からぼんやり眺めるのではなく、

作品の中に身を投じてひっかき回すことが必要なのだ。

すると、出来上りかけていたと思えたものが無惨に毀れてしまう。

また傷口を修正する。

こんな風にしたらどうなるだろう。こうすればいいのかも。

たら、れば、の繰り返しだ。

無難な事件にぶつかった時、刑事はしばしば発生現場へ戻る。

振り出し点に戻って別な角度から事件を見直すと、

気付かなかった違う風景が見えてくる。

その方角へまた歩き出す。

いわゆる「現場百遍」だ。

私はひそかに嘆いている。

たら、れば、が少なすぎると。

プロになるんだと息巻いている人に限ってそうした短絡さが見られるのはどうしたことなのだろう。

あせる気持ちも分らないではないが、じっくり腰を据えて一本一本の作品に向って欲しい。

「往くに径によらず」……そこに活路がある。

芦沢俊郎のシナリオ塾

テレビ・映画の脚本家として活躍し、松竹シナリオ研究所の主任講師を20年以上務めた芦沢俊郎によるシナリオ作法を紹介します